yoshihide nakajima
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diary
※たまに書かれるdiaryです。
 改竄、改変も思いつきでなさる為、
 日付には一定の意味しか担保されず、
 それぞれが絶えず現在になる可能性を持ってしまうという、
 記録としては、あまり保存性の高くないというテキストですが、ご勘弁 。

見たのだ。

2008.11.09

ねずみ

■さて、唐突だが道で見たのだ。夜中、道で電話をして、電話を切り、立ち止まっていたら、道を横切ってやってくるものがあった。顔と手は薄いピンク色で、体のほとんどの部分は毛でおおわれている。毛でおおわれた尻尾もわりと長い。『「ねずみ」さん、あら、こんにちわ』

これは出会いの瞬間である。彼は、道の中央で立ち止まり、もう一度こちらにやってきて、僕の靴の先に鼻を押し宛てて、うずくまった。(そんなに臭くないだろうと思ったが、、)。僕がいて、こちらにやってきて、停止した彼を僕がどうすればいいのか、いや、僕自身がどうすればいいのかを考えた。道行く人は酔っぱらいなど、交通整理をしながら、「ねずみいます」などと言い、踏まれることを避けてしばらくを過ごす。くたびれてきた。靴の先でつっついても、あまり動こうとしない。道行く人にも「僕はどうすればいいですか?」と聞くが、的を得た返答はない。くたびれてきて、彼は大丈夫だと、勝手に決めて、お前はお前でいろ、俺は俺で行くと心で言い放ち、アイ・シャル・リターンとも思い、そこを離れた。

しばらく時間をおいて、人と待ち合わせて、そして出会って、ついでにそこを通った。あら、彼がもういない。僕だけがアイ・シャル・リターンをしたのだ。道には事故になった形跡もなかったので、自力で、もしくは、親切な誰かの指につままれて、本来の場所へと移動されたのだと思った。だが、近くで男性が電話で話す声が聞こえる「ねずみがさー・・・・」。彼は彼なりに、このあたりを賑わして、そして、ここを去った、もしくは去らされたのだと知った。

来訪者あり、また来訪者としてあり。バオー来訪者が大好きでした。

2008.11.03

■さて、昨日仕事場に来訪者あり、と言っても、僕への来訪者ではなく、家人への来訪者。永世中立国から人来たる。家人の作品を見たいと、メールがあっての来訪。東京各所で行われているデザインイベントへの観覧にあわせてこられる。僕も家人も英語が苦手。家人は日本語、仏語のみ、僕は日本語のみ。でも、割と談笑。

■前に書いた通り、関西へ行って来ました。来年の展示をするために場所を探しに、いくつかを回り、いくつかの予定の確定と、予定の検討の返答を得る。

場所というのは、箱だけが全てではないとやはり思う。そこの人、社会的位置づけ、場所の持つ雰囲気?カラー?も含めて、その「場所」と私は関係する。

僕は、既にあると認められる、集合に対して動機を持って、目指して行動しても、それが続く人ではないことを、やっと最近自覚した。それに気づくには遅すぎるが、今まで遅かった理由も同様にそれだったのだという顛末。なので、できるだけ、私から繋がる演繹的なやり方でないと、私には「何もできない」のである。さて、それを古くさいなぁ、懐古的だなぁ、ダサイがな、とも思うが、それについては、もはやどうでもいいとも思う。運動は始めてからが、運動の主たる部分である。

今回は、なんとなく自分がどれだけ透明になれる場所かを問いながら、場所を見てこようと思い、関西に向かった。この、透明さとは、匿名さと言っても良い、なぜならほとんど僕の固有名に、今展示を判断でする上で、先方に与える意味がないことを自覚しているし、それより、誰でもない私と、誰でもない誰かや、どこでもない場所と関係を始めたかったというのが、その本当の理由だった。理由の理由は、その方が驚きがあって、退屈でなく楽しいからという短絡的なものなのだが。と言っても僕の出身は関西。だけれども、僕は相当な方向音痴。毎度、はるかかつての時間にもどされる内臓電池の切れたPCのように、ある程度は毎度新鮮を感じることはできる。

かつて学生の頃、僕が建築をやろうと思ったのは(後、動機と同様の理由で挫折する)、そんな方向音痴の私自身が持つ、空間についての「わからなさ」からであったし、だからか当時も建築についての本より、朔太郎やベンヤミンに好感を持ったりしていた。今でも、自律性について考える時に、その始まりの運動には、迷走があると考えてしまう。僕にとって、自律性があると感じることは、僕がその運動があると信じることである。その運動の始まりは、不連続な時間を連続させて行くことであり、その始まりはある軋みを伴いながらある。軋みの中で、力は方向を持とうと迷走するように思う。それは盆踊りのような進まなさを持ち、同時に志村ケンのようでもある。そして絶えず運動は、それ自身を終えようとし、それに逆らい続けて運動を継続することは、絶えずその運動が始まりの状態であることでもあると思っていたりも、今はしている。今は。

まあ、ともかく行って来て、決めて来た。出会った皆様、本当に感謝。

今日は良かった(と、僕は思う)

2008.10.18

■今日まで、そうでなかったのは全て僕のせいだった(と思う)のだが、今日は、世界は広く、空は高くなれる、(はるかに遠のいていけと思う)場所について、それがありえると本当に願い、信じるということができたように思う。それについてちゃんと話せたかな、、ということについては、満点は永遠にあり得ないので、この点のみ自分を許す。今日は良かった。万歳と思った。

■来週あたりに、場所を探しに関西に行く事にした。

■久しぶりに、色んな場所で寝てみたいと思い、それでなんとなく寝袋が欲しいと言ったら、寝袋を探したことがない家人は、寝袋を探してみたいと言う。変な奴だなと思う。どんなのが欲しい?と聞かれたので、機能的で省スペースのものと答える。しばらく、うーんとうなっていたが、何を考えているんやろう。この人は。

■タグ打ちめんどくさくなってきた。MTとかにしよっかな。

なんとなく団鬼六

2008.10.15

■なんとなくリセット。起動の気分。仕事をして一日が終わるな、と思っていたら、夜中すぎてから、Capitalis Romanaを模写したくなり、カリグラフィーペンとインクをひきずりだして、にじみどめをしてやってみる。そりゃ、てんでダメである。この書体やったことがなかった。原点すぎて、厳格過ぎて、敬遠していた。教本なしにやるとなると、元々大きな物なのだから上部行と、下部行の文字の大きさはパースを考慮されて変えられてるし、レタースペースも繊細。そりゃ、分析的にやらないと前進なんてとんでもない。なので、日課としてやることにした。こうやって、まず振り出しにもどってみようと思う。活字化されたものやチヒョルト氏の書き起こしたものあるが、一から自分でやってみて、解釈において分からないことがあれば参照すればよいと思う。

■その上、さらにポートフォリオを作ろうと思い中身はほっといて、まず製本をした。ドドメ色の泥の固まりのようになったが、家人に聞くときれいというので、それを鵜呑みにした。これを天金にしてから、中身は出来た形の中で考えるという本末転倒。本紙を製本している途中で、麻糸のかがりの順序が分からなくなり、「なんとなく団鬼六」状態にもなった。

贈り物

2008.10.13

■東京の会場で、お客様にお買い上げ頂いた作品のうち、取り置きのものを搬出してしまう不手際があった。明日の朝、それをお送りしようと思いたち、段ボールからそれを探し出し出した。元々、包装上手ではないが、お送りする事が遅れたこともあって、できるだけ丁寧にお届けしたいと思った。紙箱を作り、包装材も作った。すると、割と上手に出来たような気がしたので、写真に撮った。しかし、写真を見ていると、どこからどこまでが作品か分かりにくい、不親切な包装だとも思った。

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壁に敗れた日(20081013改訂)

2008.10.08

■東京茅場町での展示へご来場頂きました皆様、本当にありがとうございました。
また、展示を企画頂いたiTohenの鰺坂氏、セッションに出演頂いたevala氏、会場の森岡書店の森岡氏、毎日迷惑をかけた家人に、この場をかりてお礼申し上げます。

■過去に戻る。
終えてからなかなか言葉にできなかったので、書くのが遅くなりました。
まだ練れていませんが。

さて、展示が始まる。

ここいらあたりでは、どの場所でも重力はおよそ平等であり、ここでは壁面からパネルが落下するも、壁面を借りてしか成立しない展示に、真にあるべき自律した姿はないように思えたので、落ちたものは、それはそれで、落ちたようにして床にならべ対応した。なので、展示の感じは、ずいぶん始まりと終わりではずいぶん違ったものになっていた。

元々特徴的な情報の多さのある空間だった。それゆえ、今回は1)「空間の特徴に身を委ねる」か、2)「空間を覆い隠そうとする、もしくは飲み込もうとする」か、といった作品と空間との関係性についての選択に迷った。毎回これには迷う。

選択の基準となるのは、僕自身が、空間を表現として見せる方法一般についての考え。具体的には、空間の持つ様々な特徴の中で、各特徴に共通して見られる要素、もしくは各特徴の発生に共通する原因を把握して(この把握力こそが問題なのだが)、それに対して判断をし、操作を加えて、結果、空間の特徴における最も長い(拡大された、代表する)断面を見せることに有効性があると思っていることだ。今回も、選択において、1)2)のいずれに、この有効性を見いだせるかが選択の基準となった。

今回については、空間に全体化された特徴である「ある特徴的な古さ」を、どう判断し、操作するかを考えた。そこで僕は、2)の「空間を覆い隠そうとする、もしくは飲み込もうとする」を選び、壁が隠れる程度の多くの作品をぶちこみ、この空間が持つ「ある特徴的な古さ」とせめぎあうこと、つまり空間と作品がせめぎあうようなアプローチにしたいと考えた。そして、そのためには「ある特徴的な古さ」が霞む程度、物量をぶちこむ必要があると思った。1)の「空間の特徴に身を委ねる」という関係性を選ぶと、何となく、空間が受け入れるだけの余白にものを置き並べると、ただただ「良い調律ね」という程度、あるいは「雰囲気を乱さない」程度で、空間に作品が包摂されるだけになってしまうことが怖かった。特に見切りのある平面を生前と陳列した程度では、それ以外の認識を得る事が、とても僕にはできそうにないと思った。別に空間を作品に従属させたい訳ではない、ただせめぎあいたいだけなのだ。

僕が何を作っているかということを除外して考えれば、この空間に対しては、その特徴に対してシンプルな操作点を持つインスタレーションを行うのが、空間を表現として見せる最も有効な方法だろうと思ったが、これはこれで本末転倒だし、まずもって別に空間の為に制作をやっているわけではないので却下。あくまで僕は僕の為に作る事からしか始まっていない。

ぶちこみ覆い隠すことを選択した僕は、小さな平面物の集合でそれを実現しようとした。そこで時間が許す限りの数量を作った。結果約80点を制作し、並べた。

結局は「壁が絵になってしまった」と感じた。こうして壁に対して、僕は完全に敗北したのである。数量は満たず、サイズが小さく、見切れのある平面だと難しかったというのは言い訳である。これらの平面が期待したような対象物となる為には、他にも様々な理由の不足があった。それを見て、書いた時間を思い返しては、本当にがっくりとした気分になった。僕は、費やした時間もろとも、こんちくしょうの壁に負けたのだ。

平面を展示するにあたって、空間との関係に神経質な理由は、「今の年齢で僕が」、「今のご時世に平面を」、「今さらやりはじめた」にあたって、それを美しくに飾る為の被服としての空間を、必要としていないのだろうと思う。できれば、僕の制作物は丸裸であり、それを褒められたり、貶されたりして、怒ったり、泣いたり、恥じらえばよろしいと思う。物に先だって雰囲気で見せたいなどという嫌らしい心は、できるだけ遠ざけたい。なぜなら、僕は書いている時、まず「目」に見せたいと思っていたからだ。僕がうけた教育が建築だったというのも説明の補足程度にはなるかもしれない。

意図せず行われいて、結果思った事もある。最終日のセッションの為、信号線や電源ケーブルなどのひきまわしをやっていて、振り返って見た意図のないそれら。本来はこの空間に不要であるそれらが、この空間の調律に傷をいれ、壁が遠のいていくように思った。それを感じ空間を幽霊のようだと思った。

セッションは40分程度で行った。直前機材のトラブルもあったが、T君から知恵を借り無事解決。発音については、振動アクチュエータを木製パネルに圧着したもの2台、ギターアンプ2台、SRスピーカ2台を用い、それぞれ対をなすように空間に配置した。evala氏の演奏は素晴らしく、特にタイム感が個性的でとても好きだった。僕は、ギターの音とそれで別音源をトリガーして混ぜて出したりしていた。記録を聞くと、いくつかの瞬間でそれぞれの音が混ざり合って、きれいだと思う箇所があった。古い建物であるから、スラブ、壁厚が薄く、そのためかあまりビャンビャン言わないシルキーな伸びのアンビエンスがあった。だが低域はすぐに飽和するので、低域の成分の多いドローンなどは、音量の扱いが難しいと感じた。まあ、飽和したら飽和したで、判別しにくいが良く聞けば変化しているという変化の在り方もあるので、それはそれで面白いとも思う。ともかく、出演頂き素晴らしい演奏をして下さったevala氏に感謝したい。

終了後飲み。翌日午前搬出、遅刻。 後日お礼状送付。

展示、終わる。
しばらくは気が立っていたが、それもおさまる。

そうしながら、仕事と自分のことの配分を考えながらの生活に戻る。

行列ができ、プリプリと早足で歩くおばさんが生成される
2008.09.18

■過日のこと、割とたくさんの郵送物を発送。郵便局へ行き、窓口に並ぶ。小さな郵便局だったので、郵便の窓口は一つしかなかった。そこの窓口に座る人は、腕に、ザ「研修中」と書かれたオレンジ色の腕章をつけていた。その後ろには、控えたその研修生を指導する人と思われる人がいる。僕が差し出した袋一杯の郵便物は、指導する人が前に出てきて数量と料金を計算した。しかし、研修生は彼が数量を数える間にも絶えず質問をし、その度に彼の手に握られたハガキの束は1から数え直される。研修生の問いに、彼は繰り返し親切に答える。気がつけば、後ろに客の行列。この日の場合は、後ろのおばさんは、80円の定型郵便を一つ握りしめ、無言の主張としてプリプリとお怒りであった。口で言えばよろしいと思った。改善の余地はおおいにあるが、こういったものは順番が原則である。僕が清算をして郵便局を出てブラブラと歩いていると、プリプリと早足で追い抜いていく女性がいた。後ろにいたおばさんだった。そして僕は、プリプリとは重心高く早足で歩く場合を指す言葉なのだなぁと思った。

蛍光色のふんどし姿の男とすれ違う祭りの日は、発送作業の日
2008.09.13

■ふんどし。これは僕にとって、なぜか頻度高く口にする言葉の一つなのである。本当に、この人様にどうにも見せられぬ尻を、選択の余地なく、一本の布という頼りない支持体にゆだねる時代に生まれなくて良かったと思う。ずさんに結べば、ほどけかけた片方の端を持たれ「えいやっ」と引かれ、そしてたぶんその程度で降参なのである。そのジリ貧からなんとか立ち上がり反撃を試みる場合、アンシメトリーになったふんどしは、誰かを笑わせる程度には間抜けになっているに違いないと思う。チョウチョ結びもあっちこっち向いたり、ネクタイも長過ぎたり短過ぎたりする僕に、まさかふんどしを毎日美しく堅牢にしめきる自信はない。そんな、軽くふんどしコンプレックスの僕が、湿気にたるんだ空気の日に、スピーカーから流される軽薄なくらい軽く響く、陽気な和製ダンスミュージックを聞きながら、陽の暮れた道を歩いていた。そんな祭りの日、レッツ オンド アゲインな日に、あら、道ですれ違ったのは、蛍光色の緑色のふんどしをしめあげた男性だった。祭りなので神輿を担ぐ人だと思えばコスチュームとして自然だが、そのどうどうたる姿、感服いたしました。なんとなく降参でございます。しめてもしめなくても、どちらにせよ僕は、ふんどしについては万事、降参することにしている。

■DMが刷り上がり手元に到着。かなりデータ上で写真の版をいじった割に、時間がなく、色校もあげてなかったので仕上りが心配だったが、思ったよりいい感じに仕上がった。宛名シールなどを出力して発送の作業をできるだけ早くする予定。

早起きしたら、意味のないことも考える時間があるかもの巻
2008.09.10

■忙しいような感じなので、朝4時に起床。冷蔵庫にあったマカロニサラダを割とボール半分と少したいらげ、冷蔵庫にあったアイスコーヒーをコップに数杯のんで一息ついてから、仕事とか作業とか。ここのところ、食べ盛りなのです。さて、ウニの口は「アリストテレスの提灯」と呼ばれるが、他人ごととは言えこれは、残念な気分になることです。ウニ氏の考えが想像できるということはあり得ぬが、また僕がウニ氏になる予定も今の所ないが、口なのに提灯として、さらに、他人の固有名を冠して呼ばれるのである。これが「 アリストートル氏の提灯」等と、さらに古風に呼ばれたりすれば、さらにきっと僕ならげんなりなのである。まだ「アスリートの提灯」であれば、走っても消えない提灯のようで、特許出願中的で、なんとなく勇ましかったりするが、まあそれであっても、いかんせん提灯と呼ばれる口なのである。

■展示のDMの入稿も果たし、ウェブにもインフォメーション等もアップしました。イベントのご入場を希望される方は原則予約が必要となりますのでご注意くださいませ。今日は、画材とパーツを買いに行かないと行けないような気がするが、行くか、行かないのかは、行くか、行かないかまで分からない。さて、ジョン万次郎のジョンが、氏ではなく名のような気がして、ジョン万次郎とはなんだか、おかしいと思ったことはないかい? 井伏鱒二氏が命名したこの呼称については、悲しいときになんかお元気がでる名前なので賛成するかな、とも思うこともできるが、他にも時々意味もなく口をついて、「伊東マンショ、ジョン万次郎、細川ガラシャ夫人」等と言っている僕は、やっぱり賛成派なのだと思う。最初に、子供の頃に教科書で伊東マンショという名前を見て発音したとき、学生の頃に読んだバタイユのエロスの涙の最後に収載されている中国の写真を見た時に似た、違和感と恍惚があったのは、なんでやろうかしら。

朝9時に缶ビールを開栓し歩きながら飲んだ後悔と、燃えないゴミの日という事
2008.09.04

■徹夜した日。昨日は仕事も夜そこそこで切り上げ、仕事場で化学物質をまきちらしながら作業。鼻の中まで塗装されてきるかもしれない状態ですが、本当は計画的に制作を進めて、やると言ったサウンドオブジェの制作を進めないといけないのに、それは放置したまま(できるのだろうか、できないかもしれない、また今度にして、あきらめようか)、平面との自問自答の時間。まだ、DMに使えるものができていないというのは嘘で、昨日できました。今回のこれなら許せるという基準は、多少記号的とはいえなくてもそこそこの集合感があって、自分なりにこびすぎていないくて、その上で自分が出してもいいかなと思えることだった。本来このような、マーケティング的な思考は、本当にげんなりするが、いたしかたない。私は無所属新人、さらにおっさんとしても新人であるという、アンニュィな立場かつ加齢具合なのである。「真っ逆さまーに、落ちてデザイア」なんか、聞いて育った世代なのである。その加齢のせいかだからか、まず考えを巡らせてみたりもする。見る前には、なかなかどうして跳べない。その上、その考えた手段で意図する結果がでないことにも気がついていてはいるが、気分的に避けて通れず、結局意味なく考えを巡らせ、無駄に時間を使った上で、跳躍的な適当な仮説をたててから、「やる」という臆病者として老い方をしてしまった。その上、決定については、今回も搾取的に動員することになる家人に気を使い、何度も「これでいいかな?」や、「ちょっと、古くさくないこれ?」と確認して、これで行くとなって昨日完成した。ちなみに、その際に、少しでも気をそぐようなことを言われれば、不機嫌な顔でこれを取り下げるのである。取り下げる際は、だいたい、その言われた事が最初から自分でも気になっている点であることが多い。しかしながら、印刷で使用するものが出来たのだから本来は、入稿できるように文字を組んで、関係各位にPDFにして校正をかけてもらって、という必要な作業を後延ばしにし、また書いてしまった昨夜から今朝の時間。途中から、書く見るというより、画面にただ振れているだけの時間。なんじゃこりゃ。

■ひとしきりやり作業をやり終えたと思うと外は既に朝。このまま仕事をしようかと思うと、タバコがきれたことに気がつき、それを買いに外へ。近所の酒屋はタバコも売っているので、そこでついでに買い求めたビールを、店の外で開け、飲みながら家へ向かう、すれ違う出勤途中の人々。何にも考えず開栓したことを後悔した。本当に恥ずかしくなり、手の面積を最大限使い缶を包み込むようにしてビールを持ち、それであることを隠すが、結局は心が折れた。今日は燃えないゴミの日。早々に飲み干して、道に出されているまだ回収されていない燃えないゴミの入れ物へ。非常に消極的な一気飲みである。なんとなくバツが悪い気分になって、家に帰って冷蔵庫を開けたらビールがあったので、それを今度はゆっくりと飲んでから仕事をした日。気分は最初からローダウン、一速にて走行、音は大きく燃費の悪い一日。

ロマンチックあげるよ
2008.08.08

■ある日のこと、まだ薄暮に満たないの夜の中、「燃えない」とされているゴミを出しにいくという当番を果たすべく外へ。暗い中、瓶はこっち、ペットはこっちと指定に従い、袋を分けてそれぞれの場所に置き、その他が入った袋を置いて、カラスよけの緑のネットをかぶせ、はい完了と思いきや、少し早い新聞配達の男性が自転車にて出現。「はやいですね、はいこれ」と新聞をやおら僕の目の前に差し出される。僕が、「あのどうしてですか?」と聞くと、男性は「いっしょでしょ、あのポストにいれるんだもん。」と僕とは違う家を指差して答えた。もちろん僕は新聞を購読はしていない。僕は「あの、そことは違う場所に住んでいるので・・・」と、曖昧ながらも、僕にもらう資格がないことを伝えると、男性が「あー、ここの人かと思った。」と言いながら、僕の手と男性の手を一往復して、新聞は再び正しい位置に戻った。男性、あっちを向きながら、「なんだー。」といいながら、自転車を進めた。そして、またもや、やおら!、やおら!である。男性は自転車を止め、振り返り様に「やっぱ、あげたものだから、あげる。」と言い、新聞を僕に渡しながら。「今日だけだよ。」と付け加えた。僕はその後、家に戻って、「ええことあったわー、特殊な理屈のラッキーディやで、今日。」とのたまう。まあ、「あげても、もらっても」、本来それはやってはいけないのかもしれないが、新聞の購読を検討する時にたくさん見本紙が配達されることを考えれば、これも未本紙として僕が捉え、今後購入を検討するとして、取りあえず感謝。僕は、これから彼を「ロマンチックあげるよのおじさん」の呼ぶ事にする。

■森岡書店での展示のDMに使う絵が書けないので、毎日困っています。が、今日は華雪の搬出を手伝いに、レンタカーを借りて、資生堂ギャラリーへと向かう。到着してから事情があって、車から降りた。そして、再び車が迎えに来た時には、搬出に必要な男性の人力としては僕は用無し、搬出は全て終えられていたのだった。「お買い物とかできましたか?」との問いに、かねがね発音してみたかった「銀ブラ、してた。」と、返答した。「銀ダラ」とは、本来魚であるが、銀座でダラダラしてましたと、相当な親切をもって読み解いてもらえるなら、「銀ダラ、してた」が、真実でした。なぜなら、その間の僕は、極度な方向音痴のため、待ち合わせを指定された場所に戻る事を考えると、その場所からそれほど離れる勇気がない割に、そこから近いブロックで一度方向を失い、そして道に迷い、人に道を聞いたりして指定場所へなんとか帰り着き安心し、もう一度歩き始めて、また遠くに行くと困るので、かなりゆっくり歩いていたのだが、ゆっくり過ぎて立ち止まるとどちらから来たかを忘れ、また迷い、同様にして指定場所へ戻るという、2度迷って時間を過ごしていたのだから。

暑い話
2008.08.05

■もはや夏と認めずには、おられぬ日差し。事実、外では夏が、まっさかりなのです。炎天下、家の中で、エアコンのきいた部屋ばかりにいると、それも忘れることもある。また、日差しを期待して、心の準備までして、汗をふくようにタオルまで持って出た場合に、蒸し上がったような熱気に降る雨という日もある。汗も出るわ、雨にもぬれるわ、わやくちゃである。仕事場では、なるだけエアコンをかけず、汗をかきながらやっている。不快だが、そのほうがずっと体調は良い。ただし、汗だくなので見た目は相当に悪い。それもそんなに動いていないのに汗だくの様が、その燃費が悪さを露呈し、これがまたアメ車みたいでもあるが、アメ車みたいにかっこよくない点が問題なのと、贅肉付き筋肉仕掛けの動力としての自分がエコではないことを、いかんともし難く他人に披露することとなる。なので、他人が来る場合には、積極的にエコではないエアコンを入れる。

■長野の山奥に行く機会があった。谷間の大きな古い家で、夜中にふと目がさめると、物音はせず、ただ虫の音にかこまれていた。録音機器を持っていっていたので、それに一瞬手がのびたが、僕自身が、録音の準備の為、横になったままの体勢を起こし、機材を設置をした上で、もう一度同じ音を聴く自信がなかったので、横になったまま、もう一度眠くなるまで、その音聴いていた。朝になると、遠くからも生活や仕事をする人の音が聞こえていた。朝も虫は鳴いていたが、夜に聴いた程、大きくはもはや聴こえないかった。あれについては、たぶんあれで良かったのだ。僕が動いた場合、虫の音は変わらなくても、僕自身の調律が変わってしまうように思えて、正直微動だにできなかった。その理由は、気持ちよかったから単純にもうちょい聴きたかっただけという怠惰。

こういう場所のこういう季節は、緑が強い。きっと、たえず人が割ってはいらないと、すぐに緑が生活の為の空地を飲み込んでしまう。そのようなアンバランスさに人が関わり、場所が維持されている。当地の地酒は「ウバステ正宗」。前回来訪時からラベルチェンジあり。前の方が、配色がサイケデリックで個人的には好きだった。味は甘口だが、わりとさっぱりで、飲みやすく、美味しい、特にここで飲むと酔いやすい。そのあたりには、ウバステの伝承があり、同様の地名が残っている。帰り道に、家につみあげられたままの段ボール、その中の本をどうにかしようと、本棚を3つ買う。

■酒を飲んだ。いつもより量は全然少ない。とても少ない。だが、歩けば足下がふらつき、電車では立ったまま眠ってしまった。いつもは、どんだけ飲んでも滅多にそんなことはない。「立ったままのなんとか」なんだっけ、ランボーだっけ。。僕の場合は、「立ったままのおっさん、膝をかっくかっくしながら、同様に左右にバランスを崩しながら、他人に押されて立たせてもらう。全く自立心のない迷惑な物体としての、俺、おっさん」という、恥ずかしくもブルージーなことになっていた。

じゃがいもの調理を請け負うことになる電話
2008.07.19

■酔った人に尋ねることがあり、酔っているだろうと想像して電話をすると、酔った声で受話器が取られる。そして、その酔った声は、今度の機会にじゃがいもの調理を僕にすることを依頼した。じゃがいもの調理に、何も思い入れもなく、そしてそれが得意な訳ではないが、なんのこっちゃ分からないので、とりえず、するということにして、尋ねたかった事を聞いて電話を切る。

■先日ペドロ・コスタ監督のコロッサル・ユースという映画を見に行く。撮られたものへの私的で唐突な誠意として、それを見ることから始めたかったので、事前の予習を全くせずに行く。また事後も同様に直後の時間においては、自分で感じたかったので、映画館に掲示されていた監督等のインタビューなどは読まないつもりが、そのうちの一つの少しだけをトイレを待つ途中に読んでしまうという不覚。

始まりのナイフは闇に後ずさり、最後にたどたどしくキラリと光って消えた。頼まなくては書けない手紙、その手紙の内容は他者によって常に変奏され、当事者はその手紙の今の状態を絶えず記憶することを呼びかけられる。そして、もはや誰の誰への手紙かもわからない、だが、決して出されない手紙は、きっと届くといわれ、相手から返事がこないことも「だろう」と予告される。手紙の内容は、差出人の口によって一度だけ話される。それはたどたどしく彼の言葉として変奏され話されていた。映画の中で2つの隔たりのある時間が描写され、その代替えの不可能さと、同時に相似性を感じながら、闇から光への向かう中間色を、常にゆらすデジタルノイズに、地下の廃墟のような工場とカメラの前のおびただしい数の小さな羽虫がまぎれているのを見る。デジタルでは再生するのが難しいと聞いた黒へ落ちる寸前の、低階調で起こっている運動が好きだった。僕は、この映画が撮られた街を知らない。正確に、この移民の街がどのようにして生まれ、どのような歴史をたどり、どのように現在なっているのかを知らない。現状、この映画を通して知ったことが全てだ。だから、これが特定の場所とそこの人について撮られた映画だとすれば、僕が見た/見なかった映されたことについて、より具体的な寓意を感じる人達がきっといるのだろうとも想像した。

コロッサル・ユース。聞いた事があると思ったら、ヤングマーブルジャイアンツの曲名だった。ということをトイレに行く前に通りがかりに、インタビューを斜め読みして知ってしまった。これについては、自分で符合させたかったが、目が読んでしまったという残念。

妻の家への帰還への代償として、私が贈与する物について話され、「そんなことはどうでもいいから、ワインを飲みながら僕のことを思い出してくれ。」と、全部を台無しにする最後の言葉。妻への私の誠意が物について語られ、その後で最後の物として、同時に私の率直な欲望として、妻が持つだろう私についての記憶が、私によって自分勝手に差し出され、与えつつ奪う。

何かが道をやってくる
2008.07.12

■今日、夕刻の寸前、何気なくタバコを吸って仕事のことを考えていると、前ぶれなく雷鳴がとどろき、その後に、ゴォーという雷雲の音がする。こういう登場は、やけに音楽的で困る。午前中は、白い程に明るかった外は、気がつけば、グレートーンになっていて、屋根にあたる小さな雨粒の弾ける音がする。気がつけば、車が水しぶきをあげる程に、雨は強く降っている。気圧の変化のせいか、立て付けの悪いサニタリーへの開き戸が、換気口からその影響をうけて、自動的に少し開いたり、閉まったりを繰り返している。そして、大きな雷鳴がまたとどろいた。レイ・ブラッドベリの「何かが道をやってくる」を思い出した。と、雨はやんだ。あの雷雲は移動し、雨を「どこか」まで降らせて、「いつか」の時点で霧散をするはずだと思う。ここにだけ立ち寄る奇特な雲はいない。

■昨日は、華雪の展示での機材の調子を見に、le bainに立ち寄る。しばらく機材と音の鳴りの様子をみて、その後、外に出てタバコを吸っていると、そこでも雨が降り始めた。 雨の中、モンシロチョウが目の前を横切る。僕が雨粒にあたっているのだから、 それにも雨は降っている。良く見ていると、時折、その高さをガクリと下に下げながらも飛行は続けられた。それは、結局落ちなかった。そして、雨をさけるように、街路樹の枝にとまった。その始終を見ていて、僕は思ったより雨にぬれた。当日、夕刻前より酒を飲み始め、夜になり華雪の約束に同席させて頂き楽しく酒。まだ少し足りぬと家の付近まで帰っても酒。およそ酔う。暗い中で、テーブルで、少しだけ紙に線を書き、手を洗って眠る。

■次回展示予定の森岡書店の外には、川が流れている。これを展示に、取り込めないか考えていた。川の色を、平準化して色を抽出しようと思い、その手がかりを探そうとメモとして、携帯で写真をとる。周囲の写り込みと、光の反射による偏差が大きすぎることぐらい最初から分かっているべきだったが、分かっていなかった。川というものは、隣接する景色と分ち難く思える。また、僕が色を探すという意図を持って見る時点でこれは光とも分ち難いことを示している。根本的に考え方か、もしくは、この場合に指す色というものの範囲を考えないとだめなんだと、それだけが分かる。また、展示のタイトルは勝手に決めたつもりになっている。まだ誰にも伝えていない。

■また明日は、華雪の展示の撤収。音の記録も撮るつもりだから、今日仕事を終えてから、色々と改善点があった自作のマイクを作り直す予定。予定まで到達できるか不明。


自分の個展は既に終わり、華雪の個展が始まる
2008.07.04

■と、時間は過ぎ。既に自分の個展は終わった。
無所属新人、その上おっさん初めての個展は、思い返せば、かくもあっけなく始まり終わった。

最終日には、初日の反省より酒は飲まず、弱音で、割と反復感のあるギター等を使ったインプロを1時間程度やった。スピーカーやギターアンプを複数ならべて、回遊式庭園というより、少し時代を進めて固定化された視点場のような場所を、ただし、複数・重複させるように作りながら時間を進めた。

また、一度ある帯域で決め込んだ場所を、フィードバック等で壊しては、また元の帯域、音量へ戻して、場所を安定化させるようなプロットで進めた。相当あいまいに進めたので、安定とはここでは比喩でしかない。

幾人かに、ライブが終わった後に、感想や壁に掛けた画面の説明を求められたが、既に飲酒。だから、正確に説明ができたかどうかは、定かではない。ごめんなさい、弱音は初めての上、寝不足、そしてライブが久しぶりすぎて、年甲斐もなく緊張して、たった少しのアルコールが強くききました。

■そして、華雪の展示を行うle bain mitateのB1Fの空間に、mnemonとしてサウンドデザインの協力する為、その準備に追われる。それをナベさんに手伝ってもらって、evalaくんと搬入し、設置、調整も終わる。最後はどうなることかと思ったが、この作業を通じて、色々と学ぶ事があり、また、気がついたこともあった。

フィールドワークにおける観察者の参与の問題のように、また完全なホワイトボックスがないように、音も音響的な要素以外にも、地理、社会的な位置づけとしての、特定の場所と関わって鳴る。大きな音量で場所を場所を飲み込んで鳴らすか、場所に沿うよう小さな音で鳴らすか、また、そのいずれでもあるような場所との関わり方をするかについての選択があることを知った。ショールームとしても機能している空間なので、レセプションの日には大き目の音で鳴らさせてもらって、後は割と静かに空間と調停をするような調整とした。

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華雪展示風景(写真上1F、下B1F)

■詩人柏木麻里さん(詩の同人誌「径」のデザインをさせて頂いているのだが、その中同人でもいらしゃる。)の展示を拝見しに、茅場町の森岡書店に出かける。声のように、文字は上へ下へ、前へ後ろへ、歌われるように配されていた。背面の時間を蓄えた壁のテクスチャが、その声に対する定在波として流れているように聴こえて見えた。とても好きな展示たった。しばらく時間を忘れて、目と文字の浮いた距離だけを見ていた。

同時に、自分自身が、現代に作られる「多く」の視覚詩を面白くなく感じる理由についても、なんとなく気づかせてもらえた展示だった。良かった。

また、9月にも、自分自身もこの森岡書店で展示を予定しているので、その下見の目的もあり、柏木さんの展示も拝見できるちょうど良いタイミングだと思い、この日、突然来訪させて頂いたのだが、店主の森岡様には、とても快く対応いただいた。そして、しばらく展示や本などについてお話をさせていただいた。

ひとしきり話を終え、店内にあった本を一冊購入する。仏語で書かれたの「文字」について書かれた一冊。ロバート・フランクのアメリカンズの初版は、このビジュアル百科辞典のシリーズの中の1冊として刊行されたと説明いただいた。

自分の展示について、店内のアンティークのワークランプなどのインテリアと、並んでいたリシツキーの書籍のせいか、その20世紀初頭にロシアであったようなギッシリ詰め込こんだ展示イメージになって仕方がない。それも何度か寝れば忘れられるかな、と思う。森岡様にも、間引いた展示のほうが、良い結果が出ることが多い空間ですと言われる。悩む。


個展の搬入、オープニングが終了し、大阪から東京へ一時戻る
2008.06.07

多くの方に、オープイングパーティーにご来場いただき、本当にありがとうございました。
また、今回のきっかけを作って頂いたiTohen鰺坂さん含めスタッフの方々、
裏方にまわって手伝ってくれた、パートナーの華雪に感謝しています。

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オープニングで行ったトークセッションでは、夕刻から自主的に飲みはじめたお酒のせいで、なんか格別に格好の悪いことになっていたように思う。ああ、脳よ、効率よく信号を伝達し、適正に処理をしてもらわないと困る。酒くらいでへこたれるな。だが、飲みすぎた僕が、一番悪いのは明白なことだ。これは、酒を飲んだ後で起こる、ありがちな後悔だと思う。特別な事態ではないが、当人は、やはり身につまされる思いである。いらっしゃった色々な人に、お礼もちゃんと言えなかった。あらためて、言える人だけにでも、言う事にする。